元少年兵士の裁判、停電のため10月26日まで延期

月曜日に行われたAung Ko Htwe元少年兵の裁判はDagon Seikkan郡裁判所の停電により短縮したと裁判所事務官は述べた。裁判所は聴聞会を10月26日に再設定した。原告側の証人Myo Myint Aung中佐は電気遮断の際には尋問を受けていた。裁判所付近の路上での燃料タンカー横転のために予防的措置として電気を遮断しなければならないと本紙は事務官から通知された。「Theingi通りの交差点でタンカーが横転したので電気を切らなければならなかった。安全対策として消防隊が呼ばれた」と事務官は述べた。Aung Ko Htwe氏は、扇動、および、Tedmadawの少年兵士の経験をラジオフリーアジア(RFA)に語った後のMyo Myint Aung中佐の訴えを発端とした現在の窮地、について刑罰505(b)で告訴された。「この裁判所は記録にタイプライターでなくコンピュータを使用するので電気が必要だ。停電を理由に原告は今日の調書への署名を行わなかった。弁護士が両当事者に対し取ったメモが記録として一時的に保管されている」とAung Ko Htwe氏の弁護士のAung Soe Tun氏は語った。
Myo Myint Aung中佐は弁護士から、人権宣言を知っているかどうかを尋ねられ、人権の行使は法律に従う必要があると回答した。彼はまた、現行政府における報道の自由と表現の自由を知っているかどうかを尋ねられ、法律に従って自由に行使できると回答した。
RFAへの発言は偽りであるのでAung Ko Htwe氏を起訴したとMyo Myint Aung中佐は述べ、原告側の申立人は証拠としてビデオを提出したが、電気の遮断のために見ることができなかった。
Aung Ko Htwe氏は1995年に生まれ、2005年にTatmadawに強制参加させられたと語り、2008年には彼と他の3名の少年兵がTatmadawから脱走した。しかし彼は間もなく殺人事件で逮捕され、7ヶ月の裁判の後に9月8日に死刑判決を受けた。彼の量刑はテイン・セイン大統領の時代には終身刑に減り、彼が未成年兵であるという証拠がミン・アウン・フライン国軍最高司令官に提出された際には10年に短縮された。彼は刑務所での9年間の労働の後に今年7月7日に解放された。インタビューの放送の8日後の8日に、彼は起訴された。
(Myanmar Times 2017年10月17日版 第3面より)