9か月間軍政下におかれ違法性が指摘されているにも関わらず、中国との国境に位置し紛争地域でもあるラオカイにある悪名高いカジノは依然として人気がある。
目立つ制服を着た胴元補佐として働く多くの若い男女は、同市のシンボルとして認識されている。
一般的なミャンマーの警察官と似たような制服を身にまとったコーカン自治区の警察官は、
カジノの外に警備員として立ち民間人の安全をバックアップしている。
警察は正確なデータを得ることは難しいというが、7,500のギャンブルテーブルがあると示唆される街で、約50のカジノ「集団」があると考えている。全カジノが正式なライセンス無しに運営されている。ギャンブラーのほとんどは、1週間パスで入国した国境付近の中国人で、ギャンブルの通貨は中国元だ。
「カジノ集団は、少なくとも4から5つのカジノホールで構成されている。各ホールには約30のギャンブルテーブルがある。各団で100人以上のスタッフが働いている」と、以前警備員として働いていたラオカイ住民は証言した。
2月に勃発したコーカン族の武装勢力であるミャンマー民族民主同盟軍 (MNDAA)と国軍間の紛争は、戒厳令と厳しい外出禁止令が出されるまでに至った。カジノは最初閉鎖を強いられたが、ほとんどがこの衝突とは無縁だったため徐々に営業を再開し、軍の規制は先週解除された。
地元住民は、カジノは中国人とコーカン族により所有されていると考えているが、彼らの名前を挙げることは出来ない、あるいはしたくないようだ。
軍と結託したMNDAAの80代のリーダーであるPheung Kya Shin氏により数十年間、領地運営されていた時期、同地区は薬物、ギャンブル、サトウキビで栄えていた。
MNDAAは、ビルマ共産党からPheung Kya Shin氏が離脱した後の1989年に設立された。国軍によると、中国系民族の指導者は2009年に追放されたが、中国内部から支援を得て支配力を再構築した後の2月に復帰した。激しい紛争により、彼らの前線は国境付近に退いた。
コーカン管区は依然として自治区として知られており、2008年のミャンマー憲法に基づく6つの半自治地区の1つである。その土地のほとんどは政府の土地登録システムの対象となっておらず、税金を納めないカジノの管理が困難である理由として挙げられる。
指導者である准将Zaw Zaw Naing氏によると、コーカン管区を治める軍政でさえも、戒厳令期間の2月17日から11月17日はカジノから徴税することはなかった。
ラオカイ当局は、カジノを開催しないようホテルに要求したと発表した。しかしカジノは裁判での証拠となる正式な土地所有権文書を持っていないため、裁判所の命令を強制することは不可能であるといわれている。
職員によると、ラオカイには5つのホテルがあるが、すべてライセンスを持っていない。
「ホテルライセンスは、カジノを公式なものにするために必要である。同地区にある5つのホテルは、ラシオにあるホテル・観光省の事務所にライセンス取得を申請中である。同地区には他の小規模ギャンブル事業はない。すべて行政により把握されている」とラオカイ地区の総務部長Kyaw Swe氏は述べた。
カジノがライセンスを取得していないため、政府は税収を得ることができないと、Kyaw Swe氏はいう。しかしラシオ当局が5つのホテルに土地登録文書を発行したことにより手続きは前進している。
合法かどうかは別にして、カジノは若者にとって全国最低賃金よりもはるかに高い1か月当たり100万チャット(770米ドル)を稼ぐことのできる主要な雇用源である。
「ラオカイにカジノがないとすると、町全体は停止するだろう」とある地元住民はいう。
「私の妻はカジノで働いている。お金を簡単に稼ぐことができるが、カジノで働きたいわけではなく、他の仕事を見つけることができないから働いているのである。若者の雇用機会は、ここでは貴重である」とタクシー運転手のAhlone氏は語った。
「地元の人はここでギャンブルをすることは出来ない」とカジノ付近の食品店オーナーは言った。「ほとんどのギャンブラーは中国人である。しかしカジノのおかげで我々は働くことが出来る」。
窓のない厚い壁に覆われたホール内では、ギャンブラーが数分で20,000元(3200米ドル)を失う。60cm(2ft.)の箱がいっぱいになるほど次々に100元紙幣の束が追加されて行くのだ。
カジノと関連のない地元の人はラオカイで栄えているギャンブルを話題にすることはない。「私たちはカジノと関係していない。権力者のバックアップがなければ、カジノに関して口にせず、関わりを持たない方が賢明である」とある住民は述べた。
(Myanmar Times 2015年11月30日版第2面より)